研究紹介

我々は、糖鎖が関与する様々な難治性疾患の発症機序や制御メカニズムについて、特に下の3つのテーマを中心に研究を行っています。さらに、それに関連した様々なテーマを研究しています。これらの研究成果を踏まえ、癌や神経変性症などの難治疾患の根本的治療法の開発を目指します。
 1. 癌細胞に特徴的に発現する糖脂質、糖タンパク質の糖鎖の発現と役割の解析
 2. 神経系組織に高レベルに発現する糖鎖の神経系異常病態における役割
 3. 生体の調節システムである免疫系および代謝の異常に関わる糖鎖の解析

1. 癌細胞に特徴的に発現する糖脂質、糖タンパク質の糖鎖の発現と役割の解析

 シアル酸を含む糖脂質であるガングリオシドは、正常組織では神経系組織に高レベルに発現しますが、その他の組織ではGM3やGM1などの低レベルの発現が見られるだけです。ところが、神経外胚葉系の腫瘍やある種の白血病細胞では、特徴的なガングリオシドの発現が認められ、癌診断や治療の標的になっています。これらを癌関連糖脂質と呼んでいます。
 私たちは、癌関連糖脂質の発現プロフィールと悪性形質における役割について、免疫生化学的手法と糖鎖合成酵素遺伝子を用いたin vitro、in vivoの解析を進めてきました。その中で、癌関連糖脂質が、①その糖鎖の種類によって様々な癌の悪性形質を増強し、②癌細胞内のシグナル活性化を誘導する、③細胞膜の脂質ラフトに局在して分子クラスターを形成することを明らかにしてきました。
 代表例として、皮膚癌の一種であるメラノーマにおけるガングリオシドGD3の発現と機能について、紹介するとともに、癌細胞が放出する細胞外小胞(EV)の癌転移や癌微小環境の制御のメカニズムにつき新知見を発信中です。
 また、これまで、癌関連糖脂質を標的にした免疫治療として、抗ガングリオシド抗体による治療法の開発を進めてきましたが、さらにキメラ抗原受容体を発現させたT細胞(CAR-T) によるCAR-T治療について、概説するとともに、糖鎖免疫チェックポイントの阻害治療の可能性についても、ご紹介します。


2. 神経系組織に高レベルに発現する糖鎖の神経系異常病態における役割

 ガングリオシドは脊椎動物の神経系組織に多く発現し、神経組織の発生と機能に深く関与していると考えられてきました。ヒトでは、ガングリオシド欠損による幼児性癲癇を示す症例が報告されました。しかし、ガングリオシド合成酵素遺伝子の単独ノックアウト(KO)では顕著な神経異常が見られなかったため、ガングリオシド欠損による神経変性の機序は不明でした。
 我々はGM2/GD2合成酵素とGD3合成酵素が欠損し、GM3以外のガングリオシドが消失したダブルKO(GM3 only)マウスを作成しました(図A)。このマウスは、12週齢過ぎから突然死を起こし、また若齢期から神経変性が現れるとともに、加齢に伴う歩行異常やプルキンエ細胞の脱落が認められました(図B)。脳内での補体活性化とTNFα, IL-1α, IL-1βなどの炎症性サイトカインの増加など、顕著な炎症反応が認められました。一方、脳組織では、アストロサイトやミクログリアの著しい増生が見られ、炎症性因子の過剰発現は、この増生グリア細胞に由来することが示唆されました。これらの炎症はガングリオシド欠損による脂質ラフトの破壊が補体制御因子の機能異常を招いたことに基づくことが示されました(図C)。さらに、 GM3 onlyマウスと補体欠損マウスを交配して作成したtriple KO(TKO)マウスの解析により、神経変性に至るプロセスが補体活性化によることが示されると共に、神経組織の健常性の維持に正常なガングリオシド組成からなる脂質ラフトが重要な役割を担っていることが示されました(図D)。現在は、アストロサイトにおけるガングリオシドの炎症制御機能の解析を行なっています。

3. 生体の調節システムである免疫系および代謝の異常に関わる糖鎖の解析

 新しい糖鎖免疫チェックポイントを解明し、新しい癌治療に挑戦しています。癌に対する免疫反応は、リンパ球に発現するPD-1抗原により抑制されており、免疫 チェックポイントと呼ばれています。抗PD-1抗体により抑制を解除することで、癌に対する免疫反応を誘導し癌治療に応用する新規免疫治療が盛んに行われ、一定の効果を 上ています。さらに私たちは、シアル酸認識レクチンが自然免疫細胞の膜に発現して、癌関連糖鎖によって癌免疫活性が抑制され、また癌細胞を活性化することを報告しました。これはすなわち、糖鎖免疫チェックポイントであり、これを標的にして癌の免疫治療 が可能なことを示唆しています。 


 関節リウマチ (RA)は、慢性的な破壊性関節炎を引き起こす全身性の自己免疫疾患です。RA患者血清には、抗シトルリン化タンパク質抗体 (ACPA)と呼ばれる特異性の高い自己抗体が発現し、診断マーカーとして使用されていますが、RAの病態への関与については、不明な点が多いです。一方、IgG抗体には、定常 (Fc)領域にN型糖鎖が付加されており、その糖鎖構造によって抗体の機能を調節できることが報告されています。RA患者の血清IgGでは、ガラクトースやシアル酸の減少を伴う糖鎖異常が認められます。我々は、ACPAにシアル酸を付加することで、組織の炎症抑制作用が誘導可能なことを示しました。この事実は、自己免疫疾患のみならず、癌の免疫治療にも応用可能と考えられます。研究室では、活性化B細胞特異的特異的に糖転移酵素遺伝子(St6gal1 またβ4galt1)を改変することで、IgG上の糖鎖構造を改変したマウスを作製し、その抗体機能を検討してます。

4. 関連テーマ

 ガングリオシドは、糖転移酵素(遺伝子)によって合成されます。そして、糖転移酵素によって、様々な臓器・細胞でガングリオシドが適切に発現できます。しかし、糖転移酵素遺伝子が変異すると、ガングリオシドが合成できなくなり、様々な臓器・細胞に異常をきたします。現在、ガングリオシドの合成に関わる3種の糖転移酵素の欠損症(GM3合成酵素遺伝子欠損症 、 GM2/GD2合成酵素欠損症、 GD1a/GT1b合成酵素欠損症)があります。本研究室では、特にGM2/GD2合成酵素欠損症にかかわるB4GALNT1の酵素分子の構造と作用機構の解析を行なっています。

5. 今後の構想

 これまで、糖鎖による癌、神経変性、免疫異常などの制御機構の解析を進めてきましたが、今後は、これまでの知見を踏まえて、癌や炎症、免疫異常の治療法開発に展開していきます。その一例として、ガングリオシドGD2を標的とする癌の抗体治療からCAR-T治療への展開構想を紹介します。