

科学は、個性あるいはひとつひとつの個を特別視しないことによって一般化を達成した。これを人間についていえば、個人的な主張や個人の特性を消し去って、社会全体の最大多数の意思を想定し、統計的な扱いの1要素として扱うことを意味する。その際にとられる手法は、元素や一般化した個人など要素への還元、数量的表現の適用、法則による簡潔な表現、などである。このように一般化することによって、科学や民主主義は社会の多数の人に受け入れられた。
最近、科学技術への疑問や反感が示されるのは、一般化への反発、民主主義への疑問、個人の存在の主張、多数派からこぼれ落ちた人間の救済、といった問題がその根源にあるように思われる。これらは人の生き方の問題から、国際政策の方針にまで広がりと関わりを持つ課題である。端的にいえば、一般化された社会の一部としての個人と、今ここに居る「私」とを区別して扱ってほしいという欲求ともいえる。しかし、個、個人、個性を認めることは科学そのものを否定することにつながりかねないジレンマもある。
私たちは科学に疑念を持ちつつも、科学技術の影響下に暮らす状況にある。相容れないように見える2つの概念、「科学」と「個としての私」を同時に扱う可能性はないであろうか。その一つは融和的とも言える方法で、認知科学や神経科学への期待が考えられる。もう一つの対決的方法は、その相容れない本質に対決して、新しい高次の分野を創出する挑戦を試みる方法であろう。後者の方向を模索することを出発点として、科学側の人々と人文学側の人々、そして仲介的には哲学の人々が共に話す共通の場として春日井コモンズ(コモン)研究会を設定し、「科学と“私”」をその研究課題のひとつとしたい。
平成20年4月25日
中部高等学術研究所
長島 昭
春日井コモンズ研究会提案と話題提供