中部都市学会

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中部都市学会の歴史と現状

1.中部都市学会の創立と学会活動

 中部都市学会は、1956年11月6日に創立大会を行いました。日本都市学会創立から3年後のことであり、地域都市学会としては近畿都市学会と並んでもっとも早かったのです。初代会長は酒井正三郎名古屋大学教授(当時)でした。創立時から1974年までの状況については、日本都市学会編「日本都市学会のあゆみ−二五周年記念小史−」に詳述されていますので、ここでは特徴的なことのみ記しておくことにします。

 中部都市学会の活動は、毎年、「総会と研究発表会」を1回、例会を2〜3回程度開催してきましたほかに、自治体からの委託調査を学会として受託しました。一宮市、春日井市、半田市、守山市、瀬戸市、旭町等における都市診断や将来計画、開発計画策定のための基礎調査などがそれです。また、名古屋市からはほぼ毎年、研究助成的な調査委託があり、会員が分担してこの調査を担当し、数多くの報告書がとりまとめられています。

 1975年以降もこの傾向は継続します。毎年2〜3回の例会には、そのときどきの話題のテーマをとりあげ、研究者や行政の担当者に報告をお願いし、これを受けて討議するという流れでした。毎回、十数人程度の出席者ではありましたが、さまざまな分野の研究者や行政担当者、民間コンサルタント職員らによる異業種交流的な議論がなされ、一定の成果を挙げていたものと思われます。

 名古屋市からの研究助成的委託調査も、1992年まで継続しました(年間数十万円程度)。この研究テーマも学会の方で決定することができましたので、毎年、研究テーマと研究チームを公募してこれにあたってきました。この名古屋市の委託調査が、中部都市学会の大きな求心力になっていたことは否定できません。

 日本都市学会の大会を名古屋市内で開催する際には、この委託調査費を大会開催経費に充てることを認めていただき、大いに助かったものです。


2.日本都市学会事務局の引き受け

 初代会長の酒井正三郎会長が1981年4月に逝去され、早川文夫先生が2代目の会長に就任しました。早川会長は1987年に辞任、その後に牛嶋正・名古屋市立大学教授が3代目の会長に就任しました。

 1989年になると、日本都市学会磯村英一会長より牛嶋会長に対して、本部事務局の中部への移転の打診がありました。同年12月、中部都市学会は臨時総会を開催し、この問題を討議しました。その結果、全国学会の事務局を引き受けるのは名誉なこととの意見が大勢を占め、事務局移転を受けることになりました。また、日本都市学会会長には、総会出席者による投票によって、牛嶋正中部都市学会会長を推すことになりました。

 1990年1月より本部事務局は、中部都市学会事務局を置いていた都市調査室に移転し、東京市政調査会より事務の引き継ぎを受け、事務局業務を開始しました。同年11月1日の日本都市学会総会において、牛嶋会長は正式に日本都市学会会長に選出されました。

 ところが、これより1年後の1991年11月25日、豊田市において開催された日本都市学会理事会で、牛嶋会長が辞任の意向を表明しました。翌年の参議院議員選挙に立候補することが理由でした。

 中部都市学会では、1992年2月25日の総会で、牛嶋正中部都市学会会長の辞任を受けて、第4代会長に加藤晃氏が選任されました。牛嶋会長は、1992年3月末をもって日本都市学会会長を正式に辞任、加藤晃会長が日本都市学会会長代行を務めることになりました。1993年2月15日開催の日本都市学会総会において、加藤会長代行は正式に日本都市学会会長に選任され、1997年4月、服部_二郎会長へ引き継ぐまでの間、中部都市学会会長と日本都市学会会長を兼務することになりました。


3.学会活動の停滞

 1992年度を最後に、名古屋市からの研究助成的調査委託も終了しましたので、学会活動の活性化を図るため、1994年度から、大会を自治体との共催あるいは後援により開催することを目指して、まず春日井市において開催しました。続いて岐阜市(1995年度)、豊明市(1996年度)、亀山市(1997年度)、恵那市(1999年度)、安城市(2000年度)と、共催自治体が当面する問題等からテーマを選んで、市民も参加する形でシンポジウムを行う等の大会を行ってきました。これまで名古屋市内から出ることのなかった学会の活動範囲を広げ、またこれを契機に自治体が団体会員として入会する等のメリットが生じました。

 また、1995年度から「都市視察研究会」と称して、特定の自治体を視察して研究するという研究活動が開始されました。1995年度は高浜市で開催され、その後、四日市市(1996年度)、愛知県長久手町(1999年度)、名古屋市西区(2001年度)、日進市(2002年度)、名古屋市中川区(2003年度)、愛知県藤岡町(2004年度)と続いています。これは、事務局や自治体への負担が小さく、地域の現場を体験できる研究会として好評を得ています。

 日本都市学会の大会は、中部都市学会が本部事務局を引き受けることになった1989年から2003年までの15年の間に、名古屋市(1989年度)、豊田市(1991年度)、名古屋市(1992年度)、蒲郡市(1998年度)、西枇杷島町(2002年度)の5回、中部都市学会が担当して開催してきました。平均して3年に1回の割合になります。これは、他の地域都市学会が大会を引き受けられない時に、本部事務局としての立場上、かなり無理をして開催した結果でもあります。名古屋市を始め関係自治体からは物心両面の協力を得られ、財政的に中部都市学会が持ち出しで負担することはなかったことは、幸いでした。しかし、本部事務を担当しながら年次大会を開催することは、大変な事務量負担を事務局に負わせることとなり、これが中部都市学会の独自活動エネルギーをかなり削いだことになったと思われます。


4.本部事務局の重荷

 中部都市学会の最近の15年は、日本都市学会本部事務と切り離して考えることはできません。中部が本部事務局を引き受けた当初、会長辞任問題、年報発行の停滞などに絡む地域都市学会の本部会費滞納など、日本都市学会の活動が危機的状況にあったことの一端の責任は中部都市学会にあると思われます。

 しかしながら、1996年度より年報発行は正常に復し、財政状況も事務局の懸命の努力と各地域都市学会の協力により、1990年に事務局を引き受けた時の状態まで健全化することができました。さらに、「日本都市学会ニュース」の発行、ホームページの開設など新たな広報手段を導入し、審査制論文の導入などの新しい事業の展開も図り、学会活動はかなり充実してきたものと思われ、中部都市学会が負っていた負債は完済できたのではないかと思われます。

 一方で、日本都市学会事務局と兼務している中部都市学会事務局は、日本都市学会事務局業務に全力を傾注している関係から、中部都市学会の活動に支障を生じており、中部都市学会の活動は停滞気味となっていることも事実です。ちなみに、2001年度以降大会の開催はなく、年間の活動は都市視察研究会のみとなっています。

 日本都市学会会則では、会長の所属する地域都市学会が事務局を担当することになっており、1997年4月、加藤晃会長から服部会長へバトンタッチした時に関東都市学会へ事務局を移転すべきでしたが、この時点で関東都市学会は本部会費滞納問題で学会存続の危機に遭遇しており、とても本部事務局を担当できる状況になく、中部で暫定的に担当してほしいとのことで、当分の間中部が担当することになりました。

 次の2001年、北川会長となった時にも、中四国都市学会の事務局はその機能を停止しており、引き続き中部で担当するほかありませんでした。こうした例外的状況が8年も続き、このままでは次の会長交代時にも事務局の移転は困難かと思われました。逆に、事務局問題が絡むため次の会長選出が難しい状況にありました。

 こうした状況を受け、2003年10月、加藤晃会長から各地域都市学会会長あて「次期会長選出の際に、中部からの事務局移転を前提にして検討してほしい」との趣旨の書簡を送付しました。

 これを受ける形で、事務局から、@会長の所属と事務局担当学会の連動を廃止する、A学会事務局機能を5つ(庶務事務、年報事務、学会賞事務、論文審査事務、大会開催事務)に分割し、大会開催事務を除く4事務を4つの地域都市学会で分担する、B会長選出の理事会の推薦にあたって理事による選挙制を採用するの3つの改革案が提案され、1年近い議論を経て2005年度からこれらの新システムが実施されることになり、本部事務局を近畿都市学会が担当し、中部都市学会は年報を担当することになりました。


5.新たな中部都市学会へ

 こうして中部都市学会は2005年4月より本部事務局の重荷から解放され、これを機に15年間会長をつとめた加藤晃会長が勇退し、後任に日本都市学会常任理事として本部事務局を支えてきた杉野尚夫理事が第5代会長となり、停滞気味であった中部都市学会の活動再開へ向けての新体制をスタートすることになりました。

 2005年度に入ると、これまで年度末に開催していた総会を年度当初に開催することとし、早速6月に研究会および総会を開催し、中部都市学会活動正常化への第一歩としました。11月には2回目の研究会を都市視察研究会として開催し、長い間停止していた「中部都市学会通信」も復活しました。また、ホームページも新たに開設し、会員への広報手段を拡大することになりました。

 2006年度以降、毎年、研究会を開催、基調講演、研究発表により、20数名の参加を得て、活発な議論が展開されています。また、研究会後の懇親会もサロン的雰囲気のなかで、楽しく情報交換がもたれるようになっています。また、都市視察研究会も、2005年度は静岡県新居町、2006年度は岐阜市、2007年度は犬山市と、各自治体の協力を得て、学際的学会としての中部都市学会の特性を活かすべく、さまざまな分野の会員の参加により、それぞれの新たな発見を楽しみつつ実施されてきました。

 近年、自治体の財政悪化の影響を受けて、名古屋市はじめ多くの自治体が退会し、この数年会員数は減少の一途をたどり、かつて100名を上回っていた会員数も現在は87名まで減少しました。会員数は財政基盤と直結しているので、今後会員の増加に向けての活動を行うことになっています。

 中部都市学会は、学者・研究者だけでなく、自治体職員、コンサルタント職員、一般企業の社員や一般市民も多く会員となっています。都市に関心のある方ならどなたでも歓迎です。参加してみようかなとお考えの方は、ぜひ事務局へご一報下さい。


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